東大みおりんのわーいわーい喫茶

元宅浪&ワーホリ帰りの東大生みおりんが、ワーキングホリデーや受験の勉強法などについてお役立ち情報を届けようと奮闘します。

わたしが忘れていた「初心」|祖父の死と決意

わーいわーい!(引き続き大学の試験がやばい)みおりんです。

f:id:coffee-morning915:20180727002057j:image

さっき、浪人時代から大学1年生のはじめにかけて書いていた日記のノートを開いてみました。

そこにあったのは、東大合格という目標を追い、純粋に努力していた自分の、恥ずかしいほどにまっすぐな言葉の数々でした。

 

正直、いまの自分にはここまでのきれいな志はないような気がします。

もう一度、初心にかえろうと思いました。青臭くて、かっこ悪くて、自己満足感たっぷりの内容ですが、まあ日記の引用なのでお許しください。

少し、お付き合いいただけたら幸いです。

 

東大の合格発表が3月10日の正午。この日記は、9日から10日に日付が変わった瞬間から書かれたものです。

 

 

2014.3.10

 

あと半日で発表。試験おわってから発表まで、意外と短かったなー…

 

今日はママとばあばと、じいじのお見舞いに行ったよ。

じいじはよくしゃべってくれた!さかのぼれば高3の5月の時点でじいじが危ないかもって連絡が入っていて、それであのときは東大の五月祭に行くのをやめたんだった。

こないだだってもう年越せないかもって言って、ママは年賀状書くのもためらってたし、わたしの喪服もあわてて用意したし。

それなのに、じいじはここまで粘ってくれている。絶対合格報告したいよ。

今日じいじ、ママとわたしの顔を見比べて、「親子だなぁ〜」って言ってた。合格発表心配って言ったら、「だいじょうぶだー」って言ってくれた。

 

半日後、わたしは喜びきわまりない状況にいるのか、なにも食べられないくらい落ち込んでいるのか。

去年はほんとにつらかったなあ、あれはなー…ってひとごとみたいに、でもものすごい実感というか、本人感覚を伴って思い出す。A(一緒に東大を受験した、高校時代の彼氏)とキャンパスで合格発表会場ですれ違って、「どうだった?」って訊かれて、「ごめんね」って手を握ったの。そしてお別れ。

 

明日、受かってたら…っていうことはいろいろ考えるけど、落ちてたらのことは全然想像できない。過去の合格者のブログは結構「どんな結果でも受け止める」って発表前日に書いていて、えーそれが合格する人の心境なら、わたしはマズイんだけどな。

わたしは東大以外受けいれられないよ。だって2年かけたんだよ。それだけじゃなくて。わたしは誰のことも蹴落とそうとなんて考えなかったし、少なくとも誠実にがんばってはいたつもり。そのうえ2年付き合った彼氏と別れて、それでもいろんな人たちの支えのなかでがんばって、それで不合格なんて受け容れられない。すべてがそういう価値で動くわけじゃないことはわかってる、でもわたしには東大に合格する権利がある。そして義務もあるって信じたい。

 

この1年、自分のために東大を目指したことなんて一度たりともないから。きれいごとに聞こえてもいい、理想がイタくたっていい、わたしは最高水準の環境で学問をして、それを世のため人のためにいかしたいの。そうじゃなかったら、大学で4年間学ぶ機会を与えられた者として、そうじゃなかった人たちに顔向けができないよ。大学に行けるのが普通だってわけじゃないって、わたしは知ってる。だってパパもママもそうだったから。

受かったら、パパとママにプレゼントを渡そう。手紙も書こうと思ってる。

 

自信はないけど、発表がおそろしい気持ちに加えて、ついさっきから楽しみな気持ちも出てきたんだよね…

 

受かっていますように。

東大に入ったら、どんな苦しい悲しいことだって、必ず乗り越えてみせるから。

 

 

じつはこの2週間後、祖父は他界しています。

わたしが合格報告をしに、祖父の入院先の病院に行ったその数日後、息を引き取りました。

その日はわたしが東京に引っ越す予定だった日で、祖父と最期のお別れをした後、わたしたちは疲労困憊の状態で上京し、一人暮らしの住まいに届く家具や家電の受け取りをし、1泊してから翌日地元に戻りました。そしてお葬式。

 

祖父に最後に、直接報告ができてよかった。悲しみとともに幕を開けたわたしの東京での新生活。いまでは懐かしい思い出です。

 

大学の試験が佳境を迎え、いやだなぁという気持ちでいっぱいでしたが、もう一度がんばれるような気がしました☺︎