東大みおりんのわーいわーい喫茶

元宅浪&ワーホリ帰りの東大生みおりんが、ワーキングホリデーや受験の勉強法などについてお役立ち情報を届けようと奮闘します。

「東大女子」を名乗るということ|上野教授の入学式祝辞を受けて

東大入学式 上野千鶴子教授 祝辞

わーいわーい!みおりんです。

今日は、前の記事で予告させていただいたテーマの記事です。

 

「東大女子」を名乗るということ。

先日行われた東大入学式での上野千鶴子教授による祝辞が話題を呼んでいるようですね。

わたしも少し遅れて動画で拝聴しましたが、東大女子という当事者であった身としては、とても心を動かされる内容でした。

少しだけ、感じたことを書き留めておきます。

(まだスピーチを聴いていない方は、ぜひ聴いてみてください)

 

「東大みおりん」はWeb上だけ

読者の方はご存知の通り、わたしは「東大女子みおりん」を名乗ってブログを書いたり個人ビジネスをしたりしてきました。

一方で、私生活においてわたしが自ら「東大女子」を名乗ることは基本的にありません。

なぜなら、上野先生のスピーチにもあったとおり、それを言ったら「ひかれる」のではないかと感じているから。

 

勉強ができることが純粋にアドバンテージになっていたのは、何歳までだったんでしょうか。

中学の頃、わたしと友人(女の子)の二人はどちらも周囲より勉強ができて、二人とも生徒会を仕切っていました。そのときにある男子同級生のお母さんに言われたのが、「女のくせに」でした。できる感じの女の子はかわいくないんだな、と認識したのはこのときが最初です。(女性が発した言葉だというのも驚きですけど😥笑)

 

東大女子の合コン問題

上野先生のスピーチに、「東大女子は合コンで大学名を訊かれたときに『東京“の”大学』と答える」という件がありました。

合コンの場という設定を除けば、これは男女問わず東大生あるあるだと思います。よく「東大生は大学名を答えるときに『一応、東大です』と言う」などといわれますが、あれと同じです。

ですが、合コンという、男性は男性としてのアピールを、女性は女性としてのアピールを求められる場ではどうか。たしかに、男子は東大という名を気兼ねなく発することができ、女子はなるべく東大の名を隠そうとするだろうと思います。

 

…と、その前に言いたい。

 

東大女子はそもそも、ほとんど合コンに誘われません。

 

わたしの周りで女子に合コンの話が出たのは、5年間でわずか1回だけです。

その1回も、「東大女子に声をかけてくれるなんて、なんてすごい男性陣なんだ!?」と女子LINEがざわついていたのを覚えています。

 

もちろん、所属するサークルやクラス、アルバイトなどで事情は違うと思います。ですが、少なくともわたしの周囲ではそうでした😥

 

 

わたしが東大女子の先輩から言われていたこと

大学に入ってすぐの頃、東大女子の先輩に言われた言葉があります。

 

「男子は東大を出てからモテる。女子は東大を出たらモテない。だから、学生時代の彼氏は本当に大事にしなきゃダメだよ」

 

東大は女子比率が低いので、確率論だけで言えば、学生時代に学内で彼氏を作ることはそこまで難しくないと考えられます。でも、その市場価値は、大学卒業とともに落ちていってしまう。

また、先輩の先輩は、合コンに行ったときに「大学名を訊かれたら適当な女子大の名前を答える」と言っていました。

 

 

東大女子が入れないサークルの存在

上野先生はこれについても触れていましたね。このようなサークルは多数存在します。有名な話で、「東大生が入れるテニスサークルは数十(もしかしたらそれ以上)あるが、東大女子が入れるのは2つだけ」というものがあります。平たく言うと、東大生が関わっているテニスサークルのほとんどは、東大男子と他大女子が出会う形になっているということです。

(もちろん、こうした出会いを求めてテニスサークルに入る男子もいれば、純粋にテニスを楽しみたくて入る男子もいます。わたしは後者の友人もたくさん知っているので、偏見を煽るつもりはありません。ただ、構造的にはそうなっている、ということです)

 

わたしたち東大生の間では、こうしたことはもはや当たり前すぎて、気に留めることもあまりありませんでした。話題に上るのは入学直後のサークル選びのときくらいです。

本来は怒りの声をたぶん上げなければならない我々東大女子自身が、こうした事実を看過してしまっていること。それも問題だったと思います。

 

 

「努力すれば報われたのは、環境のおかげ」

最後に、ジェンダーの話からは少し離れますが、上野先生がおっしゃっていたこの言葉について。

努力すれば報われると信じて生きてきた東大生たち。それはそうさせてくれる環境のおかげだったのだ、と上野教授は述べました。

これは本当にそのとおりです。わたしは大学入学後から現在まで、絶えずこのことを感じています。

わたしがこれを忘れずにいられたのは、端的にわたしの両親が「報われなかった」人たちだったから。父はお金がなくて大学進学をあきらめ、母は弟(わたしのおじ)の大学進学に備えるために、お金のかからない専門学校に行くことになりました。

 

先日の東大の卒業式のときのこと。ブログでも記事を書きましたが、わたしは両親とともにスタジオで卒業写真を撮影しました。

そこで、母とわたしがそれぞれ手が離せないときに、父が呼ばれて写真撮影の受付に行ったのです。

 

しばらくすると、「わかんないよ」という父の苛立った声と、あわてて父のところに駆けつける母の姿が飛び込んできました。

わたしも支度が終わって急いで受付に向かうと、受付書類を前に途方にくれている両親がいました。

 

彼らは、わたしが取得する学位が、「学士」なのか、「修士」なのか、「博士」なのかがわからなかった。

どれに丸をつけていいかわからず、戸惑っていたのでした。

 

中高生の読者の皆さんもいるので解説しておくと、一般的に4年制大学では、4年間で取得するのが「学士」、その後大学院に2年ほど行って取得するのが「修士」、その次に一部の人が取得するのが「博士」です。

修士はマスターとも呼ばれ、たとえば修士1年生(大学院1年生)のことはmasterの頭文字をとって「M1(えむいち)」といいます。「みおりんっていま何年生だっけ?」「わたし、M1だよ」みたいな感じで使います。ちなみに博士はdoctorで「D1」などと言います。学部生(1〜4年生)は「B1」などと表せますが、口頭ではなぜかあまり使いません(普通に「1年です」とか「学部1年です」っていうことが多い気がする)。

 

わたしは、大学の学士と修士の区別がわからない両親に育ててもらい、大学に行かせてもらったんだ。

そのことの重みを強く感じました。勉強ができなかったわけではない二人が、違う家庭環境なら享受できたかもしれない楽しい大学生活。それを得られなかった結果として、知ることのできなかった大学の様々な基本的な制度。

 

正直ほんの一瞬だけ「どうしてそんなことも知らないの?」と思ってしまった自分を心から責めました。

躊躇いなく「学士」に丸をつけられる同級生たちの親たちが、別に羨ましかったわけでも妬ましかったわけでもなかったのに。

 

でも、当然のように大卒や高学歴の両親に育てられた多くの東大生は、きっとひとから指摘されて初めて「環境」のありがたみを確認できるのかもしれません。(とはいえ、東大生の多くは普段から感謝というものはしていると思います😊)

 

 

「東大女子」はつづく

話を戻して、「東大女子」というものについて。

わたしがこの肩書きを使うのは、そうすることで役立つ情報をより多くの人に届けられるという期待か、それによってお金を生み出せるという判断のどちらかがあるときだけです。そしてその際には同時に、東大女子というものに対しての拒絶やバッシングの可能性も覚悟しています。(まあ、わたしなんか完全になんちゃって寄りの東大生なので、あまり叩いても仕方ない人材ですけど😥笑)

 

ですが、好むと好まざるとに関わらず、このアイデンティティを背負って生きていくことには変わりありません。

それをどう使うのかは自分次第。同時に、「東大女子のみおりん」ではなく単なる「みおりん」として価値を感じてもらえるような、豊かな人間に早くなりたいものです。

 

 

※今回書いたことはわたしの実体験に基づいていますが、「すべての東大生・東大女子・東大男子がこうだよ」という意味ではありません。東大には学部だけで1万人を超える学生がいますので、大学で体験する物事も様々です。あくまで「こんな感じの東大女子エピソードもあるんだ」と捉えていただければ幸いです。