みおりんが宅浪で東大に行くことを選んだ理由
わーいわーい!みおりんです。
世間では少数派の自宅浪人、通称・宅浪。わたしはすでに受験から4年ほど経っているのですが、それでも「現役で30点差で東大落ちちゃって、宅浪して次の年入ったんだよね」と言うと、「えっなんで宅浪?」と例外なく訊かれます。
当サイトではこれまでに、宅浪成功のコツや宅浪生活の実態などをご紹介してきましたが、今回は私みおりんが宅浪を選んだ理由についてお話ししたいと思います。
▶︎宅浪みおりんのプロフィールについてはこちら(●ˊᵕˋ●)
そもそもなぜ浪人したの?
まずはなぜ現役で他の大学に行かずに、浪人してでも東大を目指す道を選んだかということですが、この理由はシンプルです。
- 東大に行きたくなっちゃったから
です。笑
東大を目指した理由は別記事「みおりんが東大を目指した理由|無知と思い込みで決めた東大受験」に書いてあるので詳細はそちらに譲りますが、わたしは一度手に入れたいと思ったものはなんとしてでも欲しいという性格でした。それゆえ、浪人することは、親さえ許してくれれば非常に当然の流れでした。
みおりんが宅浪を選んだ理由
浪人といえば、王道は予備校浪人。駿台や河合などの定番から、小さな個人塾まで様々な選択肢が考えられたと思います。わたしの地元は田舎でしたが、一応県内に河合や代ゼミなどはありましたし、東進やその他予備校も身近な存在でした。
では、なぜそれらを選ばず宅浪にしたのか、ということをお話ししてみたいと思います。
なお、宅浪か予備校浪人かを選ぶポイントについてはこちらにまとめましたので、参考にしていただければと思います。
東大に受かるためにすべきことがわかっていた
最大の理由はこれでした。
わたしは現役で東大に落ちはしたものの、「なにをすれば受かったのか」ということはわかっているつもりでした。わかっていることと、やりきれることは別なので😥笑
来年合格するためにいまわかっているto doを1年間で終わらせればいいのだから、自分でやればいい、と思ったのです。
予備校代がもったいなかった
金銭的な理由もあります。決して両親に止められたわけではありませんが、予備校から送られてきた案内を見ると、すごい金額がかかるんだと知ってびっくりしました。
経済的に豊かな家庭でもなかったし、そこまでのお金を支払ってわたしは上手に予備校を活用できるかなぁと考えると、あまりイメージがわきませんでした。
予備校の集団授業が苦手だった
というのも、集団授業というのがそもそも苦手だったんです。昔から。
自分のわかっていることを人に教えられることってすごくストレスで、でも自分の苦手なところをみんなに合わせてさらっと流されてしまうのも怖い。そう考えると、わたしの性格上は予備校の授業は効率的ではないように感じました。
予備校の勧誘がしつこかった
感情的な理由として、予備校からの電話による勧誘があります。
おそらく模試を受けていたために個人データが渡っていたのだと思うのですが、合格発表後、予備校各社から「受かったのか?落ちたのか?」「落ちたならうちの予備校に来ましょう!」という電話が相次ぎました。
合否調査のために1度だけ電話をするならしかたありません。予備校もデータを集める必要があると思います。
でも、落ちたばかりの人に何度も電話をかけ、予備校に入れ入れと言うのはどうなの?とわたしには疑問でした。すごく落ち込んでいたし、落ちた落ちたと周りに言われるのはよりつらいものがあります。
わたしは何度目かの電話で、「自分でなんとかするので二度と連絡しないでください」と告げ、すべての予備校のパンフレットや割引券を古紙回収に出したのでした。
前年度の投資を回収しようと思った
また、「去年出したお金がもったいない!」という理由もありました。
一つには、東進の東大特進コースに支払っていたお金です。塾名を出して恐縮ですが、わたしはこれに納得がいっていませんでした。
東大特進というのは、模試で成績の良い人ほど安い金額で授業を受けられる仕組みになっています(いまはわかりませんが、少なくともわたしのときにはそうでした😥)。
理屈としてはわかります。なるべく安い金額で受けられるようにというモチベーションも手伝って、生徒がどんどん上を目指すようになるということがあればいいことですし、東進の合格実績に貢献してくれそうにない生徒ほど、高い金額を支払いなさいというのもビジネスとしてはよくできている。それはわかっています。
でもやっぱり、なかなか成績が伸びなかった側から言うと、負け惜しみであってもあまりうれしいものではなかったんですよね。自分の親が支払ってくれたお金で、成績の良い子たちが東大に行く。なんだか納得できなかったし、この投資は絶対自分が東大に行くことで回収しなければいけないと思っていました。
もう一つは、高校3年間で買ってあった参考書がたくさんあったこと。わたしはこれを使いきることができていなかったので、また一から予備校のテキストを買って揃えるよりも家の参考書を使えばいいと思いました。
宅浪を貫くことを決めたのは7月
そうは言いつつ、もちろんあまりにも無理だなと思ったら、途中から予備校に行く可能性もゼロではないと思っていました。
そんな中、6月の頭にわたしは浪人して初めて模試を受けます。駿台の第1回全国模試でした。
結果が返ってきたのは約1カ月後の7月頭。そこでわたしが見たのは、東大をはじめすべての大学に対して出されたA判定の文字でした。現役時いつもD判定ばかりとっていたわたしにはとてもうれしく、この勉強法で間違っていないと確信した瞬間でした。
これを機に、わたしは1年間宅浪を貫くことを決意しました。
▶︎宅浪を決めてから東大に行くまでの1年間のあらすじはこちらにあります↓
▶︎宅浪を成功させるコツはこちらです↓
宅浪したのは正解だった!
受かったから言えることだというのはもちろんですが、わたしはやはり宅浪を選んでよかったと思っています。
予備校のほうが向いている人はそれで全然いいと思います。しかし、あまり集団でどうこうというのが苦手なわたしには宅浪のほうが合っていたのだろうと。
それに、家族と過ごす時間をたくさんもつことができたのもわたしの宝でした。母と一緒に美術展やカフェに行ったり、パフェを食べに出かけたり、家の裏の川沿いのカルガモの親子を眺めたり、どれもかけがえのない思い出です。あれは現役で大学に行っていても、浪人で予備校に通っていても、どちらにしても得られなかった経験でした。
すべての人に宅浪を勧めるわけではまったくありません。ですが、宅浪を難しく考えすぎる必要はないし、選択肢として考えるのはアリなんだよ、ということを伝えたいと思います。
▶︎みおりんの宅浪生活については↓の記事で詳しくまとめています😊